葬式とか末期の話になりますので、ご縁のない方には辛気臭い話になりますよ。
10月の末日、無事祖母が送れました。
各方面に大変ご迷惑をお掛けしましたが、おかげさまで祖母と納得の行くお別れが出来ました。
(特に急にもかかわらず旅行から帰った翌日に子供を預かってくださった義父母)
9月の入院を経て、食欲がかなり落ちており、毎月実家には行っていたのですが、
先月の訪問で祖母が起きられなくなって大分衰えた感じがしたので、
来年開けるころは難しいかと思っていたのですが、亡くなる前の週から急激に悪化していたようです。
思ったよりずっと早くて、少し後悔しています。
人はごはん食べられなくなるとほんとうに早いね。
祖父が痴呆と施設で亡くなったのを見て、祖母と家族の希望は在宅で最期を、ということだったので
診ていただいたお医者様の勧めはあったのですが入院もせず
(9月の入院時点で「家に帰りたい」とずっと言っていた)
母の仕事をしながらの介護も限界だったようで
(ケアマネを取ったのでなかなか介護のために全く入らないというわけにもいかず)
祖母からしたら迷惑をかけないように多分スケジュールを早めたのかもしれないですね。
祖父も向こうでそろそろ退屈でしょうし。
母とちょうど交代した父が看取ったそうなので、念願の在宅で実の息子に看取られる、
かなり理想の最期だったのではないかと思います。
寝たままでも頭はまだ大分はっきりしていたようで(眠ってばかりだったので寝ぼけみたいなのはあったみたいだけど)
父「僕が誰だかわかる?」
祖母「かわいい息子。(隣の母を見て)あの人に取られちゃったけどw」
だとか
母「私が誰だかわかりますか?」
祖母「大切な人」
などなど、最後までユーモアと愛情は忘れていなかったようです。
祖母の弟だった大叔父ともお話ができ、通夜の席は本当に血縁だけで
思い出話をしたり、昔の話を聞いたりしました。
実家がずっと二世帯で、ただいまと帰ってくると、
必ず最初に顔を合わせるのは一階住まいの祖母でした。
棺の中で藤色の着物を着た祖母は、とても穏やかな顔で眠っているようで
幸せだったんだろうなと思います。
出棺の時、祖母の顔を見た二号が
「おおばあちゃん、げんきになるといいねえ」と呟いていました。
もう痛くも苦しくもない所で、おおじいちゃんに会ってるよ、とは言ったけどわかってるのかなあ…(笑)
とにかく祖母は二号をすごくかわいがっていたので、最後のお別れが曾孫全員でできたのはとても良かったと思ってます。
でも読経の最中に小さい声で「まだ?まだおわんない?」って聞くのはやめろ。やめろ。
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