2015/11/23

年始のご挨拶欠礼のお詫び

喪中につき年末年始の 
 ご挨拶ご遠慮申し上げます 

  (父 去る五月二十二日 六十五歳にて永眠) 
  本年中賜りましたご厚情を深謝申し上げ 
  明年も変らぬご厚誼の程お願い申し上げます 
  寒さ厳しい折 皆様もくれぐれもご自愛下さい 

 平成二十七年十一月  秋丸 拝 


ここ数年喪中欠礼が続いたら住所録が使い物にならなくなってしまい 
頭を抱えております…

2015/11/16

日が短くなってきました

いかがお過ごしでしょうか。
子供に風邪をうつされてのどが痛い、秋丸です。
(寝るときにマスクするのは大事だぜ…全然朝が違うぜ…)

父の死後の整理もだいぶ進みました。
我が家は遺産でもめなかったのが一番よかったです。
(母も弟も私もあれば嬉しいけど無くても別にいい、というスタンス)
…まあどうしましょうかね、あの本。(生前だいぶ処分はしていたようですが)

今日は、子供の話。

一号の担任の先生から連絡帳が来ました。
ノートが取れないようです。と

一号は発達障害疑いです。黒に近いグレーです。
これは診断になかなか行けないせいなのですが。
親の贔屓目で見ても徹底したシングルタスクで、
周囲の物に気がつかない、人の「思いやり」というものに無頓着
(本人はそれなりに思いやりがあっても相手の思いを尊重できない部分がある)
集中している時とそうでない時の差が激しいetc…
あとすごく、忘れっぽい。

幸い、小学校に上がってから非常にいい先生に当たっていて、
(こういう時担任制というのはありがたいです)
「できないこと」よりも「できること」をとても大事にして下さる先生ばかりで、
ありがたい限りなんですが、そろそろ一号が三年生の、学習量についていけなくなってる。
(勉強はできる方なんですが、板書とか授業態度とか)

また、先日持久走大会のリハーサルがあったのですが、
ずーっと最後尾をもたもた走ってるんですよね。
明らかにやる気が無い。
聞いてみたら「やる気出ないんだよね―」という悪びれないコメントも頂きましたorz

一号は一見そうは見えませんが自己イメージがすごく高いです。
パーフェクト願望が強いってのかな。
だからできない自分が許せない。許せないからできないぐらいならはじめから頑張らないほうがマシ…となっているようで。
そういえば夏休みのリコーダーの宿題もそれで引っかかったんだった…
(思い通りの音が出ない→練習しない→ますます音が出ない→投げる)

2015/08/27

父が逝去しました そのに

気がついたら百日忌も過ぎてしまった。早かったような短かったような。

危篤になった報せを受けて、いつもどおりにぐずる二号を大急ぎで幼稚園に送り、
新宿の病院に辿り着いた時にはもう父は息を引き取っていた。
苦しんだ様子ではなく、むしろ少し困ったような顔をしていて、
おそらく今頃あちらへの旅路で「あらら、まいったなあ」と呟いているだろう様子が思い浮かんだ。

もともと肺小細胞がんだったのが移転によって肝臓がほとんど機能していない(ほとんどガンに取って代わられていた)上、
もともと患っていた十二指腸と胃の潰瘍もあり、二週間の絶食となった父は痩せていて、
入院する前より十も二十歳も老けて見えた。
歯が悪く総入れ歯で合わなくなり、外していたこともあって、64なのに、ずいぶんおじいさんに見えた。 
急に生気が抜けた、そんな感じなのかもしれない。

本人は全く死ぬような病だと思っていなかったようで、
自室のカレンダーには今後の庭の手入れの予定も書いたまま、
地域ボランティアの予定や市民講座の交流会の予定もそのままになっていた。
なんだかふらっといつも通りTシャツに短パン、サンダル姿で旅に出てしまったかのようだった。
実はまだ、少し帰ってきそうな気がしてる。

7月の頭に電話で弟から
「夢に親父が出てきて、困ってる様子だから事情を説明した。
 『そうかー、道理で…』と自分のお腹をさすってた。納得したみたいだよ」という話を聞いて、
初めて涙がぽろぽろ出た。
人の喪が開けていくというのは、こういうことなのだろうな、と片隅で思いながら。

私の構成要素の大部分を担っていたのは間違いなく父の趣向で、
例えば本が好きだったり、文具集めだったり、パソコンであったり、SFや宇宙やファンタジーであったり地元たる西新宿であったり…

先日上の子の自由研究用に山手線の本を借りて見ていたら、新宿駅前の昔の写真があって、ああ父が見たら喜ぶだろうなあと思いました。
映画になったエンダーのゲームの感想も聞き損ねた。
そういう意味でいまだに、悲しいというよりは惜しい、勿体無いという気持ちが強いです。
多分これからもそうなんだろう。

長子ということで私はわりと父に可愛がられつつも当たり方としてはかなり厳しい部分もあり、
例えば見てもらっていた算数の宿題で行き詰まると頭をグーで叩かれながら「こんなのもわかんないのか、死んじまえ!」と言われたり
反抗期で挨拶しなかったら壁まで吹っ飛ぶ勢いで殴られたりしたのでそれに関しては
親になった今また別の思いもあったりするのですが、もう相手が死んじゃうとどうしようもないね。

2015/05/24

父が逝去しました その一

どこから書くべきなのか、よくわからない。 

そもそもは連休前に、母がSNSで「お父さんの様子がおかしい」と言っていたことからだった。 
一日二箱は楽勝のヘビースモーカーが、タバコも吸わず一日中ゴロゴロしている。 
慌てて電話したら、父が出て「最近ちょっと禁煙しようと思って、禁断症状出るとしんどいから寝ちゃうんだよ」なんて笑っていってて 
なんだー、お母さんの早とちりかー。 
一緒に暮らしてるんだから情報共有ぐらいしてよ~なんて言ってて。 

連休明け、動揺した母と、落ち込んでいる弟から電話をもらった。 

「父が入院した」 

「永くない。意識は保って3日。命は一週間持たないだろう」 
「どうも肝臓が腫れて機能しておらず、体内に毒素が溜まり続けている状態」 

思ったのはしまった、騙された。だった。 
元々徹底した医者嫌いの父だ。 
禁煙したということは相当具合が悪かったのだろう。 
思えば4月に遊びに行った時、孫達に公園に誘われたのに寝ていて出てこなかった。 
昨年実母である祖母を亡くしたばかりで、落ち込んでいるせいだとばかり思っていた。 
しかしそこまで状況が悪いのだとしたら、おそらく祖母が体調を崩した頃から病魔に侵されていたのではないだろうか。 

慌てて入院している顔を見に行くと、父は怒ったように「誰が呼んだんだ」と母を責めた。 
本人は意外と冷静で、そこまで深刻な状態だとは思っていないようだった。 

「肝臓が腫れて、原因がわからないんだ」 
「痛くはない。だるくてお腹が少し苦しいのと、食事が摂れない」 
「もう2回も胃カメラ飲まされた。次やるって言われたら地団駄踏んで『ヤダー!』って暴れてやる」 

私も混乱して状況がさっぱりわからなかった。 
医師から説明を受けた弟は相当シリアスだと言うし、 
母は後悔と混乱で昔の話ばかりする。 
父が唯一の家族になってしまっていた叔母も涙ぐんでいた。 

え。 

だって。 

目の前にはいつもと変わらないお父さんがいるじゃない。 
相変わらず強がって孫達を気遣って 
手元の電子書籍を読もうとし、 
顔を見ると伝えたいことが溢れてしゃべり続けてるのに。 

結局父には宣告のことは言わないことになった。 
父の性格上本来は知りたがるだろうが、いかんせん進行が早すぎた。 
達観していた父だけれども、この早さはおそらくせっかちの父を焦らせるだけだろう。 
ただでさえ体力が分速レベルで衰えているのに、消耗させたくなかった。 

亡くなる前日、交代交代で父を見ていた。 
いつもどおり、私は隣で本を読んだり、孫の話をしたり 
土曜の一号の運動会は、ビデオを撮って持ってくるね、と言うと 
「そんなもの持ってくるな。ああいうのはみんなでワイワイ言いながら見るのがいいんであって、病室で見たって辛気臭いだけだ」と返された。 

金曜の朝、幼稚園の準備をなかなかしない二号をせっつきながら 
病因に行く準備をしていると、母から連絡があった。 
「お父さんね、危篤になった」 
幼稚園に送って結局身一つで父に会いに行った。 

むくりと布団から起き上がって「ザマーミロ!騙されてやんの!」なんて言いそうだったけど、もう身体は冷たくなっていた。 

宣告されたのは一週間から一ヶ月。 
結局今際の際まで意識はあった。 
父は頑張った。 

実家で残された父のメモや6月まで埋まった予定表や 
見られることのなかった予約録画を見ながら、 
やりたいことや知りたいことがまだたくさんあっただろうなと思った。 

悲しいよりも、悔しいし、腹が立つ。 

そしていまだにどこかの物陰から「やーい、だまされたー!」と出てきそうな気がする。