2015/08/27

父が逝去しました そのに

気がついたら百日忌も過ぎてしまった。早かったような短かったような。

危篤になった報せを受けて、いつもどおりにぐずる二号を大急ぎで幼稚園に送り、
新宿の病院に辿り着いた時にはもう父は息を引き取っていた。
苦しんだ様子ではなく、むしろ少し困ったような顔をしていて、
おそらく今頃あちらへの旅路で「あらら、まいったなあ」と呟いているだろう様子が思い浮かんだ。

もともと肺小細胞がんだったのが移転によって肝臓がほとんど機能していない(ほとんどガンに取って代わられていた)上、
もともと患っていた十二指腸と胃の潰瘍もあり、二週間の絶食となった父は痩せていて、
入院する前より十も二十歳も老けて見えた。
歯が悪く総入れ歯で合わなくなり、外していたこともあって、64なのに、ずいぶんおじいさんに見えた。 
急に生気が抜けた、そんな感じなのかもしれない。

本人は全く死ぬような病だと思っていなかったようで、
自室のカレンダーには今後の庭の手入れの予定も書いたまま、
地域ボランティアの予定や市民講座の交流会の予定もそのままになっていた。
なんだかふらっといつも通りTシャツに短パン、サンダル姿で旅に出てしまったかのようだった。
実はまだ、少し帰ってきそうな気がしてる。

7月の頭に電話で弟から
「夢に親父が出てきて、困ってる様子だから事情を説明した。
 『そうかー、道理で…』と自分のお腹をさすってた。納得したみたいだよ」という話を聞いて、
初めて涙がぽろぽろ出た。
人の喪が開けていくというのは、こういうことなのだろうな、と片隅で思いながら。

私の構成要素の大部分を担っていたのは間違いなく父の趣向で、
例えば本が好きだったり、文具集めだったり、パソコンであったり、SFや宇宙やファンタジーであったり地元たる西新宿であったり…

先日上の子の自由研究用に山手線の本を借りて見ていたら、新宿駅前の昔の写真があって、ああ父が見たら喜ぶだろうなあと思いました。
映画になったエンダーのゲームの感想も聞き損ねた。
そういう意味でいまだに、悲しいというよりは惜しい、勿体無いという気持ちが強いです。
多分これからもそうなんだろう。

長子ということで私はわりと父に可愛がられつつも当たり方としてはかなり厳しい部分もあり、
例えば見てもらっていた算数の宿題で行き詰まると頭をグーで叩かれながら「こんなのもわかんないのか、死んじまえ!」と言われたり
反抗期で挨拶しなかったら壁まで吹っ飛ぶ勢いで殴られたりしたのでそれに関しては
親になった今また別の思いもあったりするのですが、もう相手が死んじゃうとどうしようもないね。