2015/05/24

父が逝去しました その一

どこから書くべきなのか、よくわからない。 

そもそもは連休前に、母がSNSで「お父さんの様子がおかしい」と言っていたことからだった。 
一日二箱は楽勝のヘビースモーカーが、タバコも吸わず一日中ゴロゴロしている。 
慌てて電話したら、父が出て「最近ちょっと禁煙しようと思って、禁断症状出るとしんどいから寝ちゃうんだよ」なんて笑っていってて 
なんだー、お母さんの早とちりかー。 
一緒に暮らしてるんだから情報共有ぐらいしてよ~なんて言ってて。 

連休明け、動揺した母と、落ち込んでいる弟から電話をもらった。 

「父が入院した」 

「永くない。意識は保って3日。命は一週間持たないだろう」 
「どうも肝臓が腫れて機能しておらず、体内に毒素が溜まり続けている状態」 

思ったのはしまった、騙された。だった。 
元々徹底した医者嫌いの父だ。 
禁煙したということは相当具合が悪かったのだろう。 
思えば4月に遊びに行った時、孫達に公園に誘われたのに寝ていて出てこなかった。 
昨年実母である祖母を亡くしたばかりで、落ち込んでいるせいだとばかり思っていた。 
しかしそこまで状況が悪いのだとしたら、おそらく祖母が体調を崩した頃から病魔に侵されていたのではないだろうか。 

慌てて入院している顔を見に行くと、父は怒ったように「誰が呼んだんだ」と母を責めた。 
本人は意外と冷静で、そこまで深刻な状態だとは思っていないようだった。 

「肝臓が腫れて、原因がわからないんだ」 
「痛くはない。だるくてお腹が少し苦しいのと、食事が摂れない」 
「もう2回も胃カメラ飲まされた。次やるって言われたら地団駄踏んで『ヤダー!』って暴れてやる」 

私も混乱して状況がさっぱりわからなかった。 
医師から説明を受けた弟は相当シリアスだと言うし、 
母は後悔と混乱で昔の話ばかりする。 
父が唯一の家族になってしまっていた叔母も涙ぐんでいた。 

え。 

だって。 

目の前にはいつもと変わらないお父さんがいるじゃない。 
相変わらず強がって孫達を気遣って 
手元の電子書籍を読もうとし、 
顔を見ると伝えたいことが溢れてしゃべり続けてるのに。 

結局父には宣告のことは言わないことになった。 
父の性格上本来は知りたがるだろうが、いかんせん進行が早すぎた。 
達観していた父だけれども、この早さはおそらくせっかちの父を焦らせるだけだろう。 
ただでさえ体力が分速レベルで衰えているのに、消耗させたくなかった。 

亡くなる前日、交代交代で父を見ていた。 
いつもどおり、私は隣で本を読んだり、孫の話をしたり 
土曜の一号の運動会は、ビデオを撮って持ってくるね、と言うと 
「そんなもの持ってくるな。ああいうのはみんなでワイワイ言いながら見るのがいいんであって、病室で見たって辛気臭いだけだ」と返された。 

金曜の朝、幼稚園の準備をなかなかしない二号をせっつきながら 
病因に行く準備をしていると、母から連絡があった。 
「お父さんね、危篤になった」 
幼稚園に送って結局身一つで父に会いに行った。 

むくりと布団から起き上がって「ザマーミロ!騙されてやんの!」なんて言いそうだったけど、もう身体は冷たくなっていた。 

宣告されたのは一週間から一ヶ月。 
結局今際の際まで意識はあった。 
父は頑張った。 

実家で残された父のメモや6月まで埋まった予定表や 
見られることのなかった予約録画を見ながら、 
やりたいことや知りたいことがまだたくさんあっただろうなと思った。 

悲しいよりも、悔しいし、腹が立つ。 

そしていまだにどこかの物陰から「やーい、だまされたー!」と出てきそうな気がする。